「ありがとう」という言葉を正しく使うためには、相当な訓練が必要です。
「ありがとう」という言葉を正しく使っていなかった自分に気が付いて、とてもショックを受けた体験をお話ししましょう。
その当時、私は過去生セラピーの研究をしていました。
ある過去生で、何か途方もないアクシデントに巻き込まれます。自分の力ではどうにもならないような事件です。生死を分ける一瞬にできる事は、たったの一つでした。
「神様、助けて!」と叫べば良いのです。神様に助けを求めれば良いのです。
一瞬、躊躇いましたが、他にできる事がないのですから、兎に角、やってみれば良いのです。それ以上、失うものがあるわけではないし。
ところが、驚いたことに声が出ません。この「神様、助けて!」を言おうとすると体がキューっと閉まってしまうのです。
それまで、自分は神を信じていると信じて疑わなかったので、この一言が言えない自分を目の当たりにして、驚いたのです。
頭の中では、神を信じていると思っていたのに、私の体は明らかにそれを拒否していました。とてもショックでした。
そこで、私は「神様、助けて!」と叫ぶ練習をしたのです。数か月だったか、数年かかったか、今はもう覚えていません。
とうとう、腹の底から「神様、助けて!」と叫ぶことができた時、まるで卵の殻がツルンと向けたような体感が走ったのです。その瞬間、私のマテリアルな体を構成している約70兆個あると言われている細胞が、まるでオセロゲームで黒と白がパッパッパッと素早くでも規則正しく入れ替わっていくように、70兆個の「ありがとう」に
変換されていったのです。自分の目の前で、自分の足や手が、ありがとう」という言葉で埋め尽くされていきました。
そこには、「私」は、もういません。70兆個の「ありがとう」が、集合体になって「私」を形どって存在するだけです。
全身全霊かけて「ありがとう」ということなのだと、この時初めて学びました。
そう叫ぶことができた自分に感謝し、神を信じることができた自分に感謝し、自分の人生に感謝した瞬間でした。
同時に、それまで何かが詰まって固くなっていた体に空間が広がり、自分が解かれて、開かれて、自由になっていくのが分かりました。
それまでの自分は「ありがとう」という言葉を本気で言っていなかったのではないか?と反省しました。
それ以降「ありがとう」という時、腹の底から躊躇なしに言うように気を付けるようになりました。
言葉には、言霊と言う魂が宿っています。私たちは、普段、何気なく言葉を使っていますが、言葉はただのサインや信号ではありません。
言葉を発した時の自分を観察し、伝えようとしている真実は何なのか、伝えようとすることが正しく伝わっているかなどの確認作業を怠るべきではありません。
同じ「ありがとう」という言葉でも、体の使い方、つまり姿勢によって、伝わるものが変わってくるでしょう。
きちんと「ありがとう」を伝えるには、それなりの時間と練習が必要です。でも、この言葉の言霊を体感する努力は、自分を高めるために、非常に価値のある事だと思います。
「ありがとう」を伝える時の姿勢に注目してみてください。これまで以上に、楽に生きることができるようになるでしょう。