ある日、私はうちの旦那さんと彼の友人夫婦と、4人でディナーに行きました。
あちらの旦那さん、自分の薬のケースを取り出しながら、うちの旦那さんに聞きました。
「君は、どんな薬を飲んでいるんだい?」と何気なく尋ねたのです。
うちの旦那さんは、「何も、飲んでいないよ。」と軽く答えたのですが、
あちらの旦那さん、ギョッとして「何で、何も飲んでいないんだ?」と。
うちの旦那さん、「僕、病気じゃないから…」。
当たり前の話だと思いますが? 大体「何で、何も飲んでいないんだ?」と聞く方がおかしいですよ。
アメリカでは、…特にエリート嗜好の人たちは、50歳もすぎたら、薬を飲んでいるのは当たり前なんですね。飲んでいない方が、おかしいくらい。なぜなら、病気に倒れるのは、「負け」を意味する。病気になったら、その人は敗者と見られる。だから、特に、「がん」のような不治とされる病や、致死率の高い病気に罹(かか)ったら、その病気と断固闘う!という事をするんです。
病気は自分の一部です。自己を満足させて来なかった、そういう人生を選んできた結果が病気なのに、その間違いを正さずして、自分と闘うなんて?どうして、そういう考え方になるのかが、理解できません。
心の姿勢が、体の姿勢、つまり体表現として現れたのが癌(病気)なのに。。。
そんなに体に力を入れて闘っていたら、本当に治りますかねえ?
とにかく、あちらの旦那さんも負けてない!(まるで、「君は間違っていて、僕が正しい」とでも、言わんばかりに)「予防は、どうするんだい? 高血圧とか、高コレステロールとか…?」とか言いながら、絶対に甘いカクテルとデザートがやめられない彼。
ちなみに、この夫婦の家ではクッキングを一切しません。
奥さまは、「本当はキャリアウーマンを目指していたの。でも、父がお金があったから甘やかされて、努力できない性格になってしまったの。。。」という事でした。
彼の薬のケースは横に長い、月、火、水…と、1週間分入る、皆が持っている一般的なものです。それぞれの曜日毎のコンパートメントには、3〜4種類ずつ入っていました。すごい量の化学物質が、毎日、毎週、体に流れ込んでくるわけです。しかも、加工食品や化学調味料などと一緒に。当然、いわゆる胃酸過多と呼ばれる状態になります。ですから、胃酸を抑える薬を追加します。
薬で、自律神経の緊張と弛緩をコントロールしていると、日没と共に緩んで夜は眠くなるはずの体は、まるで脳みその中に、煌々と照らすお日様でもあるかのように、ピッコンピッコン眠れるような状態にはなりません。そこで、睡眠導入剤を追加します。
という具合に、服用する薬は年齢とともに増えていく一方です。
年齢とともにというのは、歳を取ったからという意味でなく、自分に不自然な事を強要している時間が長期化するからという意味です。
アメリカのディナーのテーブルでは、この薬のケースを皆さんにご披露しながら、食前食後にそれぞれ指定された薬を飲むのがステータスでした。
その脇には、まるでお母さまの亡霊が立っていらっしゃるようです。そして、彼らの無意識下で行われるリチュアル(儀式)が、恐ろしいくらいに見えるわけです。「僕(私)、チャ〜ンと、お薬飲んだよ」。もう、いかにも、「偉いでしょう? 褒めて〜!」と次の言葉が聞こえるようです。
このエリート嗜好の方々が、誰のためにエリートになりたいのか?
勿論、それは、お母さんのためにです。
現代人たちの多くが、成長しきれず、大人の体に住む子供たちなのです。
なぜ人々が大人になれずにいるのかについては、別の記事でお話してみたく思います。
話を元に戻しますけど、この予防にも力を入れているはずのあちらの旦那さんは、さまざまな薬を服用しているわけです。はっきり言って、それは、病気予防ではなく、ただの薬漬けです。
これは、「エリート嗜好は、薬漬け」の単なる一例です。
ちなみに、わがカストロ家では、医薬品は一切ご法度です。うちの旦那さんも、結婚当初までは、堂々といろんな薬がメディスン・キャビネットに入っていました。タイレノール、アドビル、咳止めのロビタシン、デイキル、ナイキル、ナサコートなど。全部を諦めさせるのに、数年はかかったと思います。
コレステロールの薬を彼の車の中に、発見した時は大変でした。大げんかになって、その薬をゴミ箱にパッカーンと捨て入れ、「こんなものを飲むようなアホとは、ご一緒できません!!!」って、真夜中に荷物をまとめて家出しました。まだ、結婚する前で、自分のアパートが残っていましたので、そういう事が出来たのです。
今やコレステロール値を下げる事がいかに間違いであったか、2014年6月23日号のタイム誌に掲載された、堂々6ページを割いた超センセーショナルな「バターを食べろ!」というタイトルの記事以来、コレステロールに関する世間の考え方は、このエリート嗜好の方々を含め、ゆっくりゆっくり変わってきているようです。
まず、エリート嗜好に陥る原因は自分という人間が不安だからです。そして人間が不安になる原因は、栄養不良による不健康状態です。腸内細菌叢の悪玉菌による支配、体毒総量の増加、ホルモンの不バランス、そして慢性的な交感神経優位といった、体内環境の悪さが心の不安定として体現されたものなのです。体内が慢性的に不健康状態では、いざという時に頼りになりません。それを彼ら、エリート嗜好に陥る人々は、表立って認めたりはしないものの、何となく知っているのです。そこで生産されるのが不安という感情です。
この不安感をかき消すために、薬を飲んで不安という信号を止め、テンポラリーな安心感を求めるわけです。
また、常に不安な人は、承認欲求の高い人でもあります。自分で「良し」とする自信がないので、何時も誰かの顔色を伺いながら生きているのです。それは、今始まったことではなく、生まれたての赤ん坊だった時から成長してゆく過程で、そういう不安な状態が自分だと思い込むようになったのです。もちろん、それは彼らから始まったわけではなく、彼らの両親が問題だったわけです。
いつか、このエリート嗜好の人々は、親を超え、自分は誰なのかをはっきりさせなければならないでしょう。
*********************************************注)この投稿のタイトル「エリート嗜好」に関してお断りしておきます。本来は、「志向」です。良いとされる大学に行って、良いとされる会社・組織に入り、それなりのタイトルの取得を目指して会社・組織のために働く人々という事ですよね。この人たちは、誰のためにエリートになりたいのでしょうか? 誰が彼らが子供の時に、エリートになりなさいと、教えたのでしょうか?答えは、当然、「親」ですね。何故、このエリートを目指す人々が薬漬けになるのかというと、「社会の期待に応える」という究極のビジョンのために自分の心、体、魂の状態を犠牲にしてまで、社会や他人の期待に応えることを優先するライフスタイルだからです。でも、最近のエリート志向は、一般社会の一般人的思考にまで拡散し、日本の人口1億2557万人(総務省統計局人口推計による)の多くが、このエリート志向ならぬ、エリートを好むという意味でエリート嗜好になっていると私は思うのです。ですので、あえて、タイトルを「エリート嗜好」としました。
•この投稿記事は、2018年6月に、ニューヨークで無料配布される日系新聞ニューヨーク・ビズに掲載されたコラムをもとに書き直したものです。